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「アメリカ英語?」「イギリス英語?』

『ネットワード・インターナショナル・サービス(以下、Netword)』会長、『パシフィック異文化教育アカデミー(以下、PCA)』学院長「ハロルド・A・ドレイク」がメディア掲載、取材等で取り上げられた記事を紹介致します。
以下、掲載記事


East Meets West(by Harold A. Drake)

Very often, the Japanese see Westerners as they fail to see themselves, particularly the peculiar differences in one language.
Is English a single language, one unvaried mother tongue? Not as a lot of astute Japanese see it – the people who post those signs in box offices.
Any foreigner in Tokyo has seen them, under the movie-marquee paintings of Alain Delon, Sylvie Vartan or whoever. Signs at the ticket-seller’s elbow will warn that the dialogue is in French or Italian, with Japanese subtitles, so that some unwary Australian or American doesn’t wander info a film he won’t understand.
Japan is one of the greatest international film markets in the world. Any language from Hindi to Serbian might turn up on a soundtrack.
And English, always. “A Tale of Two Cities” – dialogue in English, “My Fair Lady” – the same. But in that film, Professor ‘entry ‘iggins deplores a language that been vulgarized by slang and patois. It is an endangered species in England, he sings, and “in America, they haven’t spoken it for years.” Somebody in Tokyo, making up one of those signs, agreed with him. There was a film with Glenn Ford and Debbie Reynolds. Dialogue in American. Was it somebody who ‘ended ‘enry ‘iggins? Or was it a Japanese who boarded a cab in London, to be asked “where to, guv,” them moved on the New York to her, “where ya wanna go, Mac?”
There is a difference, and one thoughtful fellow here though that innocent moviegoers should be warned.


東西の接点(文章:ハロルド・A・ドレイク)

 日本人が西洋人をながめる場合、西洋人が自分で気付かないような姿に写っていることがよくあります。これは特に、1言語のなかにみられる独特な相違について言えます。
 例えば英語は1つの言語、1種類の変わらない母国語と言えるでしょうか。物の見方の厳しい多くの日本人は、そう見ていないようです。少なくとも、映画館の切符売場に例の注意書きを貼り出している日本人は、そう考えていません。
 この掲示は、東京にいる外人なら必ず見ています。ほら、映画館の張り出しに描かれたアラン・ドロンやシルビー・バルタンなどの顔の下にあったでしょう。切符売りのわきに出ている掲示をみると、この映画のセリフはフランス語とかイタリア語とかで、日本語の字幕つき、と書いてあります。これは不注意なオーストラリア人やアメリカ人がうっかり迷い込んで、言葉のわからない映画をながめるハメになるのを防ぐためです。
 日本は世界屈指の国際映画市場で、ヒンディ語からセルビア語まで、どんな国の言葉がサウンドトラックから飛び出してくるかわかりません。英語も、もちろん出てきます。
 『二都物語』——英語版。『マイ・フェア・レディ』——も同じく英語版。しかし、映画を見ると、ヘンリー・ヒギンズ教授——ロンドンの下町風に言えば「エンリー・イギンズ」教授——が、こう欺いています。「英語はスラングや田舎言葉で卑俗化してしまった。イギリス国内で絶滅の危険にさらされているのが英語だ。」そして、こう歌うのです。「アメリカで英語が聞かれなくなり、もう何年になるのか——」
 東京にはこうした意見の同調者がいるようで、例の掲示の1つにこんなのがありました。
 グレン・フォードとデビー・レイノルズ主演の映画が上映されたときのことです——「セリフ——アメリカ語」!
 エンリー・イギンズ教授の教えに忠実な者の仕業でしょうか?それともこの日本人は、ロンドンでタクシーに乗って、こう聞かれた経験の持主でしょうか。「どけーやるかね、だんな?」ところがニューヨークに飛ぶとこう言われるのです。「どこいくんや、大将?」
 なるほど、違います。そこで気くばりのきいた人物が、無邪気な映画見物の観客に警告することを思いついたのでしょう。

掲載記事:Service Club News Vol.3-88-1(フィリップス・ランゲージ・システムズ株式会社)【1988.02.01】