『日本の戦後はアメリカにどう伝えられていたのか』(著)ハル A.ドレイク(翻訳)持田 鋼一郎(2008 PHP研究所)
以下、アマゾンより引用:
敗戦直後の日本の市井の人々に流れたもう一つの時間。日本の戦中、戦後はどうアメリカに伝えられていたのか?
戦後の日本の混乱・復興期を見つめてきた『星条旗新聞』記者の手記をまとめる。歴史はともすれば、勝者の観点からの史実のみが語られることに陥りやすい。
あの戦争当時には口にできなかった言葉も、時を経たことによって、話すことができる。
戦中、戦後の様子を市井の人々は、どう見て、何を感じ取っていたのか?
一人のアメリカ人ジャーナリストが彼らを訪ね歩き、聞き出した彼らの当時の思い。◎二・二六事件を目の当たりにした山王ホテルのホテルマン
◎夫と観るはずだった映画を戦中見ることなく、学徒出陣で夫との別れを迎えた婦人の思い、
などなど。これまで語られることのなかった歴史の欠片(かけら)を丁寧に拾い集めるかのように綴ったノンフィクション。当時の彼らの目に映ったもうひとつの歴史の一面を垣間見ることのできる秀作。
著者紹介・書籍の帯コメント
ドレイク,ハル・A.
1930年5月2日、米カリフォルニア州サンタモニカ生まれ(LA育ち)。ロサンゼルス市立大学卒業。1951年より約1年間、朝鮮戦争従軍。1952年末、国防総省準機関紙―Pacific Stars and Stripes(『星条旗新聞』)の記者として東京に赴任。以後1995年末に退官するまで、日本の戦後の政治、経済、社会面での取材と同時に、極東での幅広い報道を手掛けた。特にベトナム戦争への特派員としての報道の評価は他を抜きんでている。歴代の米国大統領、ローマ教皇を含む各国VIPの来日取材、芸能・スポーツ関係での「ハリウッド」「エルビス・プレスリー」特別号、モハメド・アリ、マイク・タイソンらをインタビュー。試合報道、多彩な才能を発揮し、読者を魅了した。記憶力、文体の美しさは、数あるジャーナリストの中でも特記され、持ち前のユーモアと温厚な人柄は、『星条旗新聞』の名物記者の異名をとる。オーストラリア・クイーンズランド州、ゴールド・コーストに在住し、日豪の掛け橋として、夫人と共に異文化語学教育を指導している
ハル・ドレイク氏は、スターズ & ストライプス紙(『星条旗新聞』)最高の記者だ。
戦後40年間にわたりその新聞を最も多く開かせた人物であり、いま彼の文章を改めて目にし、その理由がよくわかる。熱い情熱と鋭い洞察力で描かれた本書は、戦後日本の復興と日米関係の発展の様子を市井の人々の目線で見つめたい方々にとって必読の書である。――ロバート・ホワイティング
英国の詩人オーデンが言うように「歴史は敗者に嘆きの声をかけても、許してもくれないし、慰めてもくれない。」しかし敗者を理解することのできない勝者ほど社会を見誤るものはないだろう。格差の拡大する社会とは、敗者の理解することのできない勝者の理解する極めて危険な社会である。敗者にも礼をもって接する日本人の伝統は、いつの間にか消されたか、消えてしまったのだろうか。(訳者あとがきより)
ハル・A・ドレイク出版記念会
外務副大臣:伊藤信太郎氏を迎えて
“Wake of War – Mercy Followed Mayhem”
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Hal A.Drake Publication-Party
- February 23,2009
- Foreign Correspondents’ Club of Japan(Media Room)