パシフィック異文化教育ランゲージアカデミーPacific Cross-Culture Language Academy(PCLA)
ネットワードインターナショナルサービスNetword International Services Pty Ltd.
Hal A.Drake

れっきとしたアメリカ生まれだが、大の親日派。夫人は日本人女性で、夫婦の仲の良さには定評がある。
新聞などの特派員として世界を駆けめぐっただけあって、その知識、見識は国際的だ。
日本式のあいさつも堂に入ったものだが、物腰の柔らかさ、気配りには周囲の人も驚かされるほど。「皇太子のご結婚、まさに感動の一語でしたね」とその模様を依頼先の米国新聞社に送稿した。特派員原稿としては、日本通だけに微に入り細にわたる描写だった。
1930年5月生まれというから63歳。ロサンゼルス大を卒業後26歳で「パシフィック S & S」の極東(東京)支局に勤務。ベトナム戦争の従軍記者としても活躍した。
「大変でしたね。凄惨な戦いでした。地球上の本格的な戦争はもうあれが最後であって欲しい」と言葉少なに語る。
その後、極東—主に東京に本拠を構え日本の政治、経済、文化と多角形な取材活動を展開、いまも第一線のニュースを送信するかたわら、後進の指導に当たっている。
東京に勤務を命じられた特派員は必ずドレイク氏を訪れ、手ほどきを受けるほどだという。すでに「VIETNAM FRONT PAGES」などを出版。ほかにもシカゴトリビュー誌への日本紀行も好評だった。
また、ネットワード・インターナショナルのPRディレクターとして、メディア、プロモーション雑誌編集のアドバイスなど忙しい。
「日本には友人も多く、仕事も楽しい」とすっかり日本の生活にとけこんでいる。
東京・目黒区の自宅には奥さんと二人暮らし。二人の息子さんはカリフォルニアに在住。夫人の和子さんは異文化交流促進などで活躍、PR雑誌編集など夫婦で国際交流に幅広い運動を展開している。
ハロルド・アレン・ドレイク | Harold Allen Drake
オーストラリア・クイーンズランド州、ゴールド・コーストに在住し、日豪の掛け橋として、夫人と共に異文化語学教育を指導している。1930年5月2日、米カリフォルニア州サンタモニカ生。1956年7月、国防総省準機関紙―Pacific Stars and Stripes(『星条旗新聞』)の記者として東京に赴任。以後1995年末に退官するまで、日本の戦後の政治、経済、社会面での取材と同時に、極東での幅広い報道を手掛ける。
韓国外交官とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏
加藤紘一(外務大臣)に質問するハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏、外国人記者クラブにて
1939.06.17-
『将軍』(Shogun 1975)作者、ジェームズ・クラベル(James Clavell)とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏
1924.10.10-1994.09.07
プロボクサー、モハメド・アリ(Ali Mohamed)とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏(1967年撮影)
1942.01.17-
リムジン内でインタビューをするハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏
三ばか大将(The Three Stooges )のモー・ハワード(Moe Howard)とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏
1897.06.19-1975.05.04
アフリカ(ジンバブエ)外交官とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏と和子(Kaz K, Drake)夫人
アメリカ大使館で7月4日の独立記念日を祝うハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏と和子(Kaz K, Drake)夫人
インドのビジネスマン達と会合、ハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏と和子(Kaz K, Drake)夫人
アメリカ合衆国国務長官アレクサンダー・ヘイグ(Alexander Meigs Haig)とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏
松本幸四郎、藤間紀子夫人とハル A.ドレイク氏と和子(Kaz K, Drake)夫人
元大相撲力士、貴乃花とハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏
スターズ・アンド・ストライプス退職後、シニアライターとして活動するハル A.ドレイク(Hal A. Drake)氏